2023年5月29日月曜日

Jean Grondin "L'Herméneutique" [解釈学]

これは夢中で一気に読んだ。単純に読んでいて面白いのもあるが、実際、解釈学の概観としてこれが至上の基本書ではないだろうか。ただ、Que sais-jeのわりにガチの哲学書なんで、普段ハイデガーやデリダの言い草に馴染んでいないと何を言っているのか分からない可能性が高い。哲学科の学生は挑戦するべきだが、初心者にはお勧めできない。

もう少し簡単なのをということなら、Oxford Very Short Introductionにも"hermeneutics"というタイトルがあり、少しめくっただけでしっかり読んではいないが、多分あっちのほうが初心者向きだろう。

まず解釈学とは何かという話だが、古典的な意味では単に修辞学の逆である。伝えたい意図を言葉にする技術が修辞であり、言葉を解釈して著者が伝えたい意味を再構成する技術が解釈である。伝統的には聖書の解釈が大きな分野だが、法律の文章の解釈は今でも日常的に問題になっているし、昔の文学の解釈はそれだけで専門分野だし、学校の国語の授業でもそういうことを教えている。

次の段階として、19世紀になって「人文科学も自然科学のように客観的真理を得なければならない」という風潮が強烈だった時期があり、その時代には、人文科学の方法論として解釈学が議論されていた。この場合は、今で言う文学部の全分野、つまり文学も哲学も歴史学も社会学も、なんでもかんでも解釈学を使用することになる。解釈学が整備されれば人文科学も自然科学並みに客観的真理が得られると本気で信じられていたらしい。

第三段階として、本書でも頻繁に引用されるニーチェの「事実なぞ存在しない。解釈のみが存在する」みたいな話が出てくる。「時代の制約やイデオロギーや先入見を排除した完全に客観的な解釈は不可能」というくらいなら多分誰も反対しないと思うが、ここからどんどん話が過激になっていき、解釈のほうが事実に先行するみたいなニュアンスになっていく。もはや解釈学の対象は人文科学や社会科学だけでなく、自然科学も所詮社会的構成物なので解釈次第みたいなことになる。その究極が本書冒頭のソーカル事件みたいなことだろう。

本書の大半は第三段階の議論を巡っている。解釈抜きの生の事実なんか存在しないとか、人間は自らの目的に沿ってしか世界を解釈できないとか、そもそも解釈とは自分の先入見の破壊作業でしかないとか、誘惑的な過激な主張が色々出てくる。名前で言えば、ハイデガー・ガダマー・ハーバーマス・リクール・デリダなどが本書の主役だ。著者自身の立場は、事実は解釈による構成物に過ぎない的な虚無主義は避けているし、所詮我々は認識の枠組みの外に出られないとかいう悲観論も避けている。

そんなわけで、わたしの見るところでは、第三段階は古典的な事実vs解釈の関係を疑うのと解釈の前提になる構造(先入見・イデオロギー・パラダイム・実存…)を重視するのが大きな特徴だが、著者の視点がわりと穏当というか多分ガダマーに忠実なので安心感がある。個人的には「理解するというのは他人を自分の理解体系に組み込んで支配することなんじゃないんですか? 対話によって理解するなんて怖いんですけど」みたいなデリダ的言い草に馴染んでしまっており、それそれで生理的実感みたいなものだが、それ自体も解釈でしかない。…思考は永遠に続く。久しぶりに良い哲学書を読んだ。

C'est le meilleur livre sur l'herméneutique que j'ai lu.

QUE SAIS JE; 5e édition (11 mai 2022)
Langue ‏ : ‎ Français
ISBN-13 ‏ : ‎ 978-2715411128

2023年5月25日木曜日

George S. Clason "The Richest Man in Babylon" [バビロンの大富豪]

あまりこういう蓄財本は読まないし、読んでもあまりここに書いたりはしないのだが、たまたまタダで読めた。有名な本は有名というだけの理由で読んで損はない。大雑把に言うと、例えば収入の1/10を貯蓄せよとか、賢明に投資せよとかいう教訓を古代バビロンを舞台にした寓話で教えるような本。書いてあるのは一般的な教訓で、具体的な投資手法が書いてあったりするわけではない。そもそもの原本が1926年刊とかで、今に至るまでずっと売れ続けてきた本かどうか知らないが、最近書店で日本語訳が平積みになっていたりする。確かに読みやすいが、こういう本が読まれるのはいろいろ考えさせられる。

この話の舞台になるバビロンは、自由人と奴隷がいるようなとんでもない格差社会で、かなりの部分が奴隷がいかにして自由人に成り上がるかという作戦に充てられている。奴隷と言っても昔のアメリカの黒人奴隷とは違い、財産を持っても良いし、自由人が奴隷になったり逆もあり得るというような設定で、要するに現代社会で言えば労働者と資本家ということになるのだろう。だから、この本はいかにして労働者が成り上がって資本家側になる方法として読まれている。勤勉・倹約・投資…。ちゃんとした家を持てというのはいかにもアメリカか。

現代社会で自分=労働者=奴隷と定義した上で、自分も自由人=資本家(投資家)になりたい/なれるという世界観の人がどれくらいいるのか分からないが、こういう本が売れる以上は、それなりにいるんだろう。こういう本がそういう世界観を広めている面もありそうだ。そもそもの話として、労働が好きで、その労働が十分な生活費を出してくれるなら、こんな世界観になるわけがない。しかし現実には多くの人が労働が嫌いか、または好きな労働をするための資金がない。高齢その他で働けなくなる可能性もある。

多くの人はFPがどうとかいうレベルではなく、全く基本的なことも知らない。単純な話で、収入-支出=貯蓄ということも良くわかっていない人がたくさんいる。こういう本はある意味ボーダーラインの人たちに有効かもしれないが、しかしどうなんだろう。たいてい詐欺師に騙されるだけのような気もするが…。現に株をやる個人の大半は損をする。

In reality, building a solid financial foundation takes time and dicipline...and enough intelligence....

(2023/4/5)
言語: ‎ 英語
ISBN-13 ‏ : ‎ 979-8386374105

2023年5月23日火曜日

Klaus Dodds, Jamie Woodward "The Arctic: A Very Short Introduction" [北極:非常に短い入門]

目次:1.北極の世界 2.物理環境 3.北極の生態系 4.北極の人々 5.探検と開発 6.北極の統治 7.北極の炭素貯蔵 8.北極の未来

目次から明らかなように、北極に関するほぼ全学問分野からの概説。高校の科目で言えば地理でも生物でも地学でも世界史でも政治経済でも、ここまで北極に詳しいことは求められないだろう。

人によって興味のあるところは違うとは思うが、わたしとしては、地球温暖化についての北極圏の役割は想像を超えていた。北極圏には前の氷河期以前に生物蓄積れた大量の炭素が保存されており、現在永久凍土がどんどん溶けて、大量の二酸化炭素とメタンが放出中と。地政学も面白いところだ。温暖化がどんどん進んでおそらく今世紀中に少なくとも夏場は北極海が航行可能になると例えば英国と日本が近くなる。スバールバルでは今もロシアが戦略上の都合から無意味に石炭を掘っているとか。グリーンランドがそのうち独立すると、資源を求めて中国資本などがどんどん入ってくるだろう。とにかく、今どんどん永久凍土が沼地化していると同時に、資源開発も進んでいる。

…というようなことはこの本では後半だが、こういう話を正しく理解するには、この本を全部読む必要がある。結局、物理環境とか生態系とか先住民の権利とか、全部絡み合っている。VSIではThe Antarctic南極(Klaus Dodds著)も面白かったが、現在の温暖化の進行状況を考えるとこっちのほうが必読かもしれない。

Authoritative apoaches to the arctic zones from all areas of scholarship.

Oxford Univ Pr (2022/2/1)
言語 : 英語
ISBN-13: 978-0198819288

2023年5月21日日曜日

Philippa Levine "Eugenics: A Very Short Introduction" [優生学:非常に短い入門]

目次:1.優生学の世界 2.優生学的知能 3.優生学的生殖 4.優生学の不平等 5.優生学その後

不勉強な分野だったので読んで良かった。わたしの理解では、優生学は確かに一時期普通の思想だったが、一応死んだ科学だし、人権がどうこうとか倫理に訴えるまでもなく、現代の生物学の水準では簡単に論破されるような話である。不勉強だったというのは、ここまでえげつない大災害だったとは思わなかったというのと、冷静に考えると、その頃の言い回しというか論法が現代日本でも普通に生き延びている。

現代日本でも普通という点については、例えば、わたしの大学の研究室の教授なんか普通に「賢い人は賢い人と結婚して子供も賢いからどんどん格差が広がる」と言っていた。もちろん、これだけ聞けば文化資本の継承みたいなことかもしれないが、そいつの日頃を知っている学生は当然遺伝のことを言っているのが分かっていた。人間の価値を生産性-維持費で計算するのは今でも普通に聞く話だ。高齢化で困るとか言っているのは、はっきり言えばそういうことだろう。遺伝子スクリーニングは普通に行われている。昔と違うのは国家が断種まで強制してやるか、個人が自主的に中絶するかの違いだけだ。

実際に起きた被害は、もうこの本を読んでもらうしかない。別にナチ支配下だけで起こったことではなく、その頃はアメリカでも西欧でも日本でも世界中どこでも普通に国家による強制不妊手術はあった。ちょっとその規模がわたしの想像を大幅に超えていた。倫理的な判断はちと苦手だが、まずは事実を知ったほうが良い。

一方で、優生学の理論自体への科学的反論はあまり触れられていない。優生学自体に科学的根拠がないのは自明という態度だ。わたしもその点は同意だが、多分、日本に限らず、そこから説明したほうがいいのかなとは思う。Amazonのレビューでもその類の文句があり…。

こういうの、学校でも教えるべきなんだろうか。しかし、この前読んだ奴隷制の話の時にも思ったが、そもそも学校の先生になるような人は「べき」の強い人が多く、「べき」の強い人の下位集合として「人を断罪するのが好きな人」というのがいて、そういうのが左翼社会科教師とかになって生徒がうんざりするという…。なお、優生学の支持者は別に右翼も左翼も関係がない。むしろ社会主義者やフェミニストのほうが多かったような印象を受けるが、基本的には進歩的知識人みたいな人の間では常識だったんだろう。ここでもカトリックは反対のほうが強かった印象があるが、何とも言えない。ちと禍々しいタイトルというか、ほとんどホラーだが、読んでよかった。

An excellent summary of this important subject.

Oxford Univ Pr; 2nd版 (2017/1/2)
言語: 英語
ISBN-13 ‏ : ‎ 978-0199385904

2023年5月18日木曜日

Heather Andrea Williams "American Slavery: A Very Short Introduction" [アメリカの奴隷制:非常に短い入門]

目次:1. 大西洋奴隷貿易 2.奴隷制の成立 3.奴隷労働 4.支配の困難さ 5.奴隷制を生き延びること 6.奴隷制の解体

テーマがテーマなので書き方がエモくなるのは避けられないが、VSIにありがちな「大学新入生のための研究入門」というよりは、中高生相手くらいの歴史語りに近い。このテーマで研究方法論みたいな話をされてもマニアック過ぎるし、こういうanecdoteの多いノンフィクションのドキュメンタリーみたいなのほうが勉強になる。気持ちが暗くなる話が多いが、基本的にアメリカという国が奴隷労働で作られた国だし、これはアメリカ人に限らず、日本の中高生くらいでも読むべきだろう。こういうのを高校の熱い社会科教師とかが教えると生徒のほうは白けてしまいがちだが…。

焦点は奴隷制の「生きられた経験」みたいなことにあり、奴隷や奴隷使用者の主観的な経験を主軸に描かれている。背景となる社会事情などを詳しく知りたいならこの本ではないが、しかし、こういう語りをすっ飛ばして社会状況なんか研究しても意味がないだろう。ちと短か過ぎるのが残念なくらい。断罪的な記述は避けられないが、日本人に分かりにくいのは、頻繁に言及される奴隷制とキリスト教の関係だろうか。この本だけ読んでいると、最初キリスト教を根拠にして、平気で残虐に奴隷狩りをして強制労働させていた白人が、謎の理由で真のキリスト教の精神に少しずつ目覚めて奴隷制が廃止されたみたいな印象を受けるが、わたしには到底信じられない。

かといって、「南北戦争は土地に縛られた奴隷を必要とする南部と賃金に縛られた奴隷を必要とする北部の対立であった」みたいなシニカルな記述はこの本の趣旨でもないし、白人の間にも良心の葛藤があったのは事実なんだろう。シニカルというか客観的な話が好みならそういう本を読むべきだが、その場合でもこういう本を飛ばしていいとは思わない。わたしの実感として、アメリカに限らず、白人の有色人種差別は想像を絶するほど根深いところがあり、これくらいのことは勉強しておいていいだろう。

あと、この本はリンカーンの奴隷解放宣言で終わっているが、この後も本当に公制度から人種差別がなくなるのはまだ先の話だ。Peanutsくらいでも、黒人の子と白人の子が同じクラスにいるのはおかしいとかで作者のSchultz氏が抗議されたりしている。奴隷解放宣言は1862年だが、公民権法が制定されたのは1964年のことで、その間も法制度上の差別は続いている。色々考えるところはあるが、基礎教養として万民が読むべき本だろう。

A must-read for everyone.

Oxford Univ Pr (2014/11/3)
言語:英語
ISBN-13:978-0199922680