2010年9月27日月曜日

Graham Hutton: "Programming in Haskell"

Haskellの基本的入門書であり、Haskellを勉強しようと考えた人がこの本を見逃すことは考えられないし、敢えて読まないことも考えにくい。読んでから気がついたが、和訳があって、訳もちゃんとしているし、訳注が素晴らしいので、日本語を読めるんなら、日本語で読んだほうがいい。少なくとも参照する価値はある。

本自体は文句の付けようがないし、MUST-READなので、特に推奨の書きようもないんだけど、この際なのでHaskellを推奨する。近頃、関数型言語が流行り始めているが、色々な関数型言語の中では、このHaskellこそが最も基本というか過激派というか、関数型原理主義者とか理論家になりたいのなら、これが選択肢だ。実際のところ、数学の素養のある全くの素人にとっては、最も易しい言語だろう。それに呼応して、本書に出てくる多くのプログラム例は、実際にはそのままの形では動作しない。そんな関心は二の次なのだ。しかし、真面目な話、関数型言語の何たるかを知るのに最善の本でもある。



2010年9月26日日曜日

David Canter: Forensic Psychology (Oxford Very Short Introductions)

このタイトルを「犯罪心理学」と訳すと意味が狭過ぎる。犯罪の原因に関する心理学の他、法廷心理学、陪審員選び、精神鑑定、ウソ発見、証人の記憶の信憑性、刑務所や矯正施設での心理学、性犯罪者や薬物中毒者の処遇、プロファイリング等、要するに犯罪・刑事・司法のあらゆる分野における心理学の応用を概説する。

とにかく読みやすい。だいたいわたしは心理学という学問をあんまり信用していないが、犯罪心理学の泰斗だけあって、科学者としての良心が一々感じられる。科学的なカテゴリと、司法行政の現場でのカテゴリの間の矛盾にも敏感だ。「何にでも○○症候群とか付けるな」とか、「精神鑑定なんて当てにならない」と思っている人は読む価値があるだろう。読んでも疑念は晴れないが、しかし、こういうのが全然無いとマズいのも厳然たる事実というようなことは分かる。

特に英語圏では"プロファイリング"という言葉が濫用されて、まあそれで優秀な人間がForensic Psychologyに集まって来るのはいいけど、科学的に確実な範疇を越えて濫用されても困るというような、とても常識のある著者なので、安心して読めるだろう。

2010年9月16日木曜日

Anthony Giddens "Sociology" (6e)

わたしがこの本に出会ったのは随分昔のことになるけど、その当時は退屈な本にしか思えなかった。翻訳だったせいも大きいと思うけど、当時は、もっと尖った、極端で不条理な理論書みたいなほうが好きだったからな・・・。今でもパラパラ見ることがあるけど、そのたびに考える材料を提供してくれる。

そういうわけで、わたしの口からは、「社会学を学ぶ奴は全員読め」とは言いにくい。それぞれの興味の持ち方によっては、退屈な部分もある多々あるだろうし。しかし、とにかく分厚いから、興味を惹いたところだけでも、適当に拾い読みしていれば、論文のネタに困るなどということはない。

Programming F# (O'Reilly)

F#を勉強しようという人が本を探すと、この本が真っ先に出てくるはずで、ほとんど選択の余地もないし、本自体もちゃんとした基本書なので、わたしがどうこう言う話でもないのだが・・・。和訳が出たのにさっき気が付いたので、訳の仕上がりは知らない。まあ海外とやりとりする際などには英語で話さないといけないから、原著のほうが間違いないだろう。

一応、基本から解説してあるから、関数型プログラミングについて無知でも読めることは読める。非手続き型言語本にありがちなマニアックな理論はあまり語られない。そういうことが楽しいムキは、LispとかHaskellみたいなので勉強した方が楽だろう。まあ、F#も特に変な言語ではないので、その方向からF#を選択するのも間違いとは思わない。Lisperなら、この本をチラ読みするだけでも、十分概要をつかめるし、それでとりあえず終了かもしれない。

Microsoft流の実用主義というようなことで、はたしてF#に先行投資する価値があるのかどうかは知らない。わたしはあると思っているが・・・。あと関係ないけど、IO Booksの"関数プログラミング言語「F#」"は、全くお勧めできない。


2010年9月14日火曜日

Harriet Bulkeley, Peter Newell "Governing Climate Change" (Routledge Global Institutions)

たとえば、Shell一社でサウジアラビア一国の二酸化炭素排出量を越えているというような時に、従来型の国際機関-国-企業・私人というようなガバナンスには限界があるというような問題意識から書かれている。企業は規制の厳しい国からは逃げることができるし、途上国の住民を立ち退かせて森にしてカーボン・シンクなどと言い張ることもできる。

このような状況では、国以外に、コミュニティベースの運動や企業連合のようなものが重要になってくるというのが一貫した主張だ。HIVと同じで、似たような団体や標準が増えすぎている気もするし、果たしてどれだけ有効なのかも良く分からない。一方、ネオリベラルな思考に基づいた排出権取引のようなガバナンスもあるとかで、有効無効は別として、色々考えさせられる。

そして、もちろん、ガバナンス推進派と懐疑派との間の知識社会学的戦闘も描かれているが、筆者たちは基本的には懐疑派を科学的に問題にならないと考えているようだ。なんにしろ、この本は、温暖化問題に対する対策を記述するというよりは、新しいタイプのグローバル・ガバナンスの勃興に興味がある。その点に関しては、わたしももっと研究したくなった。

わたしは実は個人的には温暖化問題を真剣に考えていないのだが、二酸化炭素原因説が陰謀だという話より、二酸化炭素が原因じゃないというの説が陰謀だと言うほうが説得力がある。どっちにしろ多少の陰謀はあるんだろうけど、その辺りも少し記述がある。

純粋に温暖化問題について概要を知りたいという場合は、たとえば、Oxford Very Short Introduction Seriesの"Global Warming"をお勧めしたいけど、別に日本語でも色々あるだろう。



2010年9月10日金曜日

Writings from the Zen Masters (Penguin Great Ideas)

無門関・十牛図のほか、あとは日本の禅僧のランダムな逸話。前二者は日本語でも容易に手に入るし、最後のも、日本語でそれらしい本を読んでいれば、知っていることがほとんどだろう。しかし、英語で読んだほうが、直接響いてくることもある。不思議なものだけど、どうも日本語は雰囲気で読んでしまっているところがあるのかなあ。

2010年9月9日木曜日

Dale Carnegie: How to Stop Worrying and Start Living

今更だけど、この本はやっぱり挙げておきたい。日本語訳が「道は開ける」とかいう残念なタイトルになっているので、気持ち悪がって手にも取らない人が多いんじゃないだろうか。しかし、読んだ人はみんな絶賛しているし、わたしも絶賛する。大体書店の自己啓発のエリアに陳列されていて、そのエリア全体をバカにしていると、下手をすると一生手に取らない。確かに自己啓発本のルーツではあるんだけど、決して今時の胡散臭い本ではない。むしろ、アメリカ哲学の最後の傑作と言うべきなんだろう。

"Worry"という単語は、「クヨクヨする」という意味もあるが、「イライラする」という意味もある。だから、心配と訳すると意味が狭すぎるけど、基本的に心配性の人のために書かれた本だ。楽天家がこの本を読んでどう思うのかは分からない。わたし自身が心配性だから。そして、別に困ってもいない人に敢えて勧めるのも躊躇われる。

内容は、心配性の人に心配をやめる様々な方法を具体的に教えるものだ。それも胡散臭い呪術的な方法ではなく、激しく古典的な方法が挙げられていく。たとえば、何かに夢中になってしまえば、心配をしているヒマがない。そういう意味では、斬新なことは何も書いていないが、それでもわたしを含めて多くの人が絶賛している。まあ、わたしが説明するより、とにかく手にとってもらいたい。少し大きめの本屋ならどこでも日本語訳は置いてあるし。英語で読んでも易しい。



今ではわたしはたまにしかこの本を見ない。結局、心配をやめるには、単に心配をやめるしかない。心配をやめたいと思っているのなら、やめればいい。分かる人はこれで分かるんだろう。分からなければ、ひとまずこんな本を読むしかない。だから、わたしにとってこの本は、いずれ卒業しないといけない本だ。いつかわたしはこの本を忘れるだろうか。

2010年9月8日水曜日

Political Philosophy (Oxford Very Short Introduction)

実のところわたしは政治哲学というものにあんまり関心がなく、サンデル教授が正義について語っても、パラパラ見て、「思いつき言ってるだけやん」と思って放置してしまう。まだ中国や日本の昔の思想家のほうが興味がある。少なくとも、彼らは次の日から現実に適用可能なことを語っている。

現実から離れた・単純化された・異常な状況について、ああだこうだと理屈を重ねるのは楽しいけど、それはそれで終わりというのが、だいたいのわたしの哲学全般に対する思いだ。記号論とかは本当に面白いけど、厳密な議論ほど現実に適用できないというのが、デリダの教えだと思っている。

とは言え、社会哲学がないと困るのは事実だし、それで踊っている人が現実にいるんだから、無視してばかりもいられない。そうすると、「考えてみよう」みたいな本より、単なる学説史紹介みたいな本のほうがいいけど、その点では、この本はわたしには初歩的過ぎた。初学者には良いと思う。理屈を捏ねるのが好きな人は、サンデル先生のほうがいいかもしれない。流行でもあるし。