ヒエログリフの入門書。図解というのは、まあそもそもヒエログリフが図解ということかもしれない。入門と言っても、実際には文字集・単語集みたいな感じで、筆者のエッセイのようなものが綴られている。どこまでがエジプト学的に確定している事実で、どこからが筆者の感想なのか分かりにくい。面白いから売れているようだが。例えば中国語でいえば、漢字と熟語についての成り立ちを面白く解説しているようなもの、と言えばほぼ正確にこの本の実態を表しているだろう。文法とかそんな話はほとんどない。発音も結局は古代ギリシア語からの推測でしかなく、あまり真剣に考えても仕方がない。そもそもセム語とかその辺りの言語は母音を書かない。
ということで古代エジプト語を真剣に勉強するというような本ではない。一応練習問題とかもついていたりするが、気楽な読み物と考えるべきだろう。しかし、時々真剣に興味深い話もある。ちょっと記録しておこう。
ヒエログリフは基本的に象形文字を組み合わせて意味を表すが、音写もできるし、併用することもできる。フランス人に対してこの事態を説明するのは面倒だが、漢字と同じことなので我々には何の問題もない。で、アルファベット的にヒエログリフを並べた時にAに相当するのが𓄿だが、そもそもヒエログリフに母音を書く習慣はなく、これは実際には「子音のA」である。
我々は「子音のI(Y)」や「子音のU(W)」は知っているが、「子音のA」は知らない。本書にもそれ以上説明がないが、ヘブライ語のℵと同じで声門閉鎖音を表す。ドイツ語は単語の先頭の母音が無意識に必ずこの音になっており、したがって"Es ist ein...."みたいな文があったとしても単語がくっついて発音されることはない。アメリカ人でもappleて発音してみ、と言えば最初のappleの前に無意識に𓄿が入ることが多いようだ。というか、日本人でも「𓄿えっ!」と驚く時に入る人のほうが多いような気がする。しかしこれらの例では𓄿が入っても入らなくても言葉の意味は変わらないし、誰も気が付かないくらいかもしれないが、セム語では意味が変わってしまうのだろう。
読んでいるとこんなことも色々考える。あと、これはこの本がフランス語だから筆者も何にも思っていないのかもしれないが、日本語の「知っている」英語の"know"の一語に対し、フランス語には"connaître/savoir"の区別があり、スペイン語には"conocer/saber"の区別があり、ラテン語には"cognōscere/sapere"の区別がある。で、古代エジプト語にも当たり前のようにこの区別があるが、確かにこの二つは人間の脳の動作として全く別物の気がしてきた。
そんなことを考えていると、そういえばスペイン語のestar/serの区別はなんだとか、元のラテン語がどうとか、もはやヒエログリフとは関係のない話だが、どんどん余計な調べものをしていたので読み終わるのに時間がかかった。本質的にはヒエログリフの組み立てからイスラーム以前のエジプト人の思考を問うていく感じがハイデガーみたいだ。結果的には退屈しない本であった。
Robert Laffont (25 août 2022)
Langue : Français
ISBN-13 : 978-2221263877