2012年6月18日月曜日

George F. Ritzer "The McDonaldization of Society: 20th Anniversary Edition"

この本は「マクドナルド化する社会」ということで、当初はそこそこ日本でも売れて、その後、版を重ねている。社会学を勉強しているなら、必読書ではあるが・・・。酷い言い方をすれば、「世の中何でも便利になって画一化されて苦労しなく済むようになって、それで失われたものもあるんじゃないの」みたいなボヤきで終わってしまう。その象徴がマクドナルドというだけの話で。

しかし、重要なのは、もう一歩先にあるんだろう。この社会が何を組織的に破壊しているのか。ハバマスによれば、近代化はまだ未完で進行中らしいが、マクドナルド化もその一過程なんだろう。日本人の感覚で言えば、「コンビニ化する社会」のほうがリアルかつ先を行っている気がする。

それはそれで、ある種陳腐な話だが、それと別に、もう一つ別の重要な指摘もある。つまり、「客に労働させる」という思想だ。マクドナルドでは、客が料理を厨房からテーブルまで運ばなければならない。店員に名札をつけて、客に人事管理をさせる。マクドでなくても、Web2.0のビジネスモデルでは良く聞く話だ。Web2.0では、商売人は自分ではコンテンツを供給しない。客にコンテンツを供給させるのであり、商売人は場所を提供して管理しているだけというような。

というように、少し考えるだけでも、「マクドナルド化」というのは、複数のイノベーションの束だが、わたしたちはマクドナルドに何を求めているのか。単に信頼できて安くて美味しい物を求めた結果がマクドナルドだというのが最も単純な説明に思われる。この考え方では、画一的だったり、客が働かされたりするのは結果でしかない。しかし、それだけでなく、個人商店よりもマクドナルドに安らぎを感じる傾向があるのなら、少しは話が面白くなってくる。

単純な経済合理性、とわたしたちが考えるものも、一つの思想には違いない。わたしたちは、確かに伝統社会の何かを嫌っていて、それを組織的に地ならししている。その過程は今も進行中だ。しかし、ノスタルジーもあるし、何でもチェーン店化するのが唯一のビジネスモデルではないことも発見しつつある。地域コミュニティの再生とかソーシャルキャピタルとか言っているが、一方で、昔の不自由で陰鬱なムラ社会みたいなのを復活させたいとも思っていない。などと考えていると、時代はマクドナルド化の次に行っている気がするし、現実にマクドナルドは貧民のイメージがついてきている。何にしろ、この本は読んでおいた方がよろしい。

Now we understand that we live in the post-mcdonald world, meaning that franchise is not a sole possibility. Maybe mcdonaldization is just a result of economic rationality. Maybe we love McDonald on its own. At least in Japan, McDonald is deemed for the poor.

0 件のコメント:

コメントを投稿