2024年7月16日火曜日

E. M. Cioran "De l'inconvénient d'être né" [生誕の災厄]

De l'inconvénient d'être né (Amazon.co.jp)
生誕の災厄 (Amazon.co.jp)

この著者の作品としてはHistoire et Utopieに続いて読むのは二冊目だが、多分これ以上読まないな。これは断章集ということで、読みやすいと言えば読みやすいが、ひたすら愚痴がならんでいる。生まれるより生まれないほうが良い、という考え方は東洋では普通だし、この本も頻繁に仏教に言及するが、西洋の思想の流れでは、こんなに攻撃的になるしかないのだろうか。著者には仏教だけでなく、無為を良しとする老荘もしっかり読んでほしかったところだ。なかなか我々日本人みたいにスムーズに理解できないのかもしれないが。

この著者の中核となる思想は「人間のやることは最終的にはすべて人間に刃向かってくる」みたいなことだと思われ、その件について具体例を詳説するのはほかの著述でやっているんだろう。別にそれはいいが、東洋では「だからバカバカしいことをしないで、のんびり生きましょう」とむしろ明るい話になる。この著者がやたら攻撃的になるのは、一つにはまだナチスの災厄が生々しかったり共産主義の災害が明白になった時代背景のせいだろうか。しかし、そのわりには愚痴が個人的である。何かを断罪するには、何かの判断基準を持っている必要があるが、この人が何を基準に文句を言っているのか謎だ。結局ニーチェ的というか、西洋哲学が約束した明るい未来が基準なのだろうか。それに現実が見合わないとか内部矛盾があると文句を言うのは、不毛かもしれないが一応筋は通っている。

そのニーチェについて著者は、「偶像を破壊したが別の偶像を建てた」みたいなことを言っていて、これは御尤もな話だ。時々こういう良いことを言うし、人それぞれこの本から拾うところはあると思う。日本語訳もあることなので、特に反出生主義を極めたいムキには必読書かもしれない。

Editions Gallimard (1 janvier 1987)
français

2024年7月14日日曜日

Marya Schechtman "The Self: A Very Short Introduction" [自己:非常に短い入門]

The Self (Amazon.co.jp)

目次:1.形而上学的自己 2.他の誰かになること 3.自分自身であること 4.満ち欠けする自己 5.分裂し混乱する自己 6.身体化された社会的自己

第1章は、よくある「原子レベルで人を分解して遠方の惑星にそいつを再現したら、それはは元のそいつと言えるのか」みたいな話。第2章は比喩的な意味で「別人になった」みたいな話。第3章は洗脳やら社会的偏見に抵抗して言われる「Be yourself, no matter what they say」みたいな話。第4章は子供や老人性痴呆みたいな話。第5章は精神病の例。第6章は生物学や社会的に構成された自己の話。

読むのにかなり時間がかかった。実はわたしとしてはそんなに斬新な話はなかったように思う。わたしにとってテーマの根本は第一章で、たとえば心と体が入れ替わったらみたいなよくある議論。そこからすると、残りの章は余計な回り道のような気もするが、それぞれ面白い話もあるし、第一章のテーマを再考するきっかけにもなるかもしれない。個人的には、生物学、特に免疫系の自他識別が上昇していって神経レベルで表現されたのが自己だとかいう説は斬新だった。

後はわたし自身の考えだが、「自分」というのは要はヒトという動物種で個体間の関係を調整するために必要な概念というだけで、別に実体があるわけじゃないし、必然的に「自分」という言葉がどういう風に使用されているかの研究になるしかないだろうとは思っている。本書で語られているような精神病理の例を見ると、概念の混乱が生物学的な振舞にまで影響することもあり得るんだろう。…というくらいに思っているが、今後の研究の進展によってはまだ分からないけど、この話で良く出てくる脳梁切断の話とか、どこまで真に受けて良いのかとも思う。

Oxford Univ Pr (2024/6/28)
言語 : 英語
ISBN-13 : 978-0198835257