読むのに時間がかかったし、結論から言うと良い本と言えるかどうか微妙だが、考えることの多い本ではある。その間に日本語訳が出版されて、タイトルにも「脱成長」という非常に適切な訳が当てられた。
多分誰でも思うことだが、経済学を学び始めてすぐに「経済成長を続けなければ資本主義経済は維持できない」と教えられ、「いや地球は有限でいずれ限界が来るし現に人口は既に減り始めているし」と違和感を持つが、「人口が減っても生産性が上がれば問題ない」とか「持続可能な開発」とか意味不明な文言で言いくるめられてしまう。日本で言えば長年経済成長せずに特に生活水準が落ちている気もしないし、歴史的に見ても経済成長しないほとんどの時代でも普通に人間は存続してきた…。生活が良くなることの一つの指標として経済成長があり、別に経済成長しなくても生活が良くなればいいように思うが、今の風潮ではなんでもいいから経済成長が必要なことになっていて、何なら経済に貢献しない「生産性のない人間」は存在自体が悪みたいな…。そもそもサステナブルな社会のためにはどっちかというと成長しないほうがいいのでは…。
この一連の疑問は現代の価値観の中心部を直撃している。さしあたり地球温暖化ということでやむを得ず成長に制限が掛けられ始めたが、それでもグリーンニューディールで経済が成長すればいいとかそんなことになっており、ここで実質的な富の拡大と、金銭価値に換算した数値の成長が微妙に混同されている。それが本書でも言及されているような「自然環境の減価償却を計上せよ」みたいなことで全部解決するのか不明だが。
ということを日頃思っていて"Que sais-je"でこのタイトルに出会ったので即買いしたが、とにかく読みにくい。フランス語が難しいわけでなく、一つには衒学が過ぎるのと、一つには感情が多すぎる。多分、著者はものすごく論争を経験してきているのだろう。こういう話はすぐに「じゃあ石器時代に戻れというのか」とか「GAFAが悪い」というバカみたいな話が出てくるし、著者がその類の話から完全に自由だとも思わない。アングロサクソンの価値観はとか言う文句が典型的だが、わりと最初のほうで熱力学の第二法則とか言い出した時点でうんざりする。
しかし、これが脱成長の第一の論客ということでもあるので、読んで損のないところではある。著者の論理の根源は、成長がどうこうというより、生産力至上主義に対する批判だと思われる。従って人口が減ればいいという考えではない。これは資本主義でもマルクス主義でも関係がない。その意味では怠ける権利の正統後継者なのかもしれない。それに付随する諸概念は人によって賛否があるだろう。やたら連帯solidaritéを強調するのはフランスの伝統だから仕方がない。生態系的制約は誰も多分異論はないが、原発がどうとか個別の話はまた別かもしれない。グローバリゼーションを敵視するのはどうかとか、格差問題とリンクさせるとか他にもいろいろある。特に脱成長で失業問題が解決するとか言われても、フランスと日本では状況が違い過ぎる。こっちでは労働力不足が問題で。
ちと論点が多すぎてまとめきれない。結局、脱成長という概念自体は、「そんなに成長成長言わなくても」くらいのことなので、色々個別の政策として考えるというよりは、もっと根本的な社会全体の価値観の変化を促すものだと思う。フランス人みたく徹底的な労働嫌いになるのが幸せかどうか疑問だが…。
Depuis longtemps, on dit que la croissance est nécessaire pour maintenir l'économie. On se demande souvent si une croissance permanente est possible. Évidemment, ce n'est pas possible. C'est le début.
Éditeur : QUE SAIS JE; 2e édition (9 février 2022)
Langue : Français
ISBN-13 : 978-2715409606