2023年2月22日水曜日

Duncan Pritchard "Scepticism: A Very Short Introduction" [懐疑:非常に短い入門]

目次:1.懐疑とは何か 2.知識は不可能なのか 3.知識を弁護する 4.生き方としての懐疑

ものすごく丁寧に書かれた本だが脱落者多数という気のする本だ。最大の理由は普通に読んでいくと著者が何を目指して議論を進めているのか分からないことにある。もしかすると後から読んでいったほうがわかりやすいくらいかもしれない。

というわけで、最後の章から紹介すると、それまでの話からすると唐突にアリストテレスとかが出てきて、よりよく生きるためには適切な懐疑が必要であるとかいう話になる。つまり、この著者は良識的な知的謙虚さを擁護しようとしているのであり、特に最近目立ってきた反知性主義みたいな極端な懐疑論というか陰謀論や不可知論と戦うのがこの本の目的であり、ここまでの話は全てそれに向かっている。筆者が言うほど科学が信用できるかどうかという問題はあるが、それは枝葉に過ぎない。ただ、これが枝葉に過ぎないというのは最後まで読んだから判定できるので、筆者の科学への信頼の強さに引っかかって最初のうちに読むのを中断する人もいるだろう。

本書のそれまでの主要部分は、主にBIV(Brain in a vat)と呼ばれる極端な懐疑論、要するに「今わたしが経験しているのはすべて幻覚かもしれない」という仮説をめぐる話だ。ただ、著者は別にこの仮説自体を否定するわけではない。著者が否定したいのは「だからどんな知識も不可能である」という結論で、これも早めに言ってくれないとなあ…と思う。これをわかっていないと、何のために色々な細かい議論(しかもその細かい議論も一々引っかかるところが多い)を積み重ねているのかわかりにくい。著者は懐疑論を相互に矛盾する三つの命題のパラドックスにまとめて、解決策の例として三つの説を紹介する。それぞれ一長一短みたいなことだが、ここが本書のコアだとすると、特にこの話に大枠で合意しない人は少ないと思う。簡単に言うと①不可知論は常識に反する②知識の定義の仕方の問題③どこかに出発点となる「自明の真理」がないと懐疑すら不可能というところ。もちろん、著者はこの三つのうちの特定の立場を推しているわけでもない。

で、最後の章でアリストテレスが出てきて、極端な懐疑論は良い生き方に寄与しないとかいう議論が出てくるが、反発する人も多いだろう。結論がどんなに不毛で破滅的かは真理が真理であることと何も関係がない、という流儀もあり得る。言っていることとやっていることが違うというのが有効な反論かどうかも微妙な話だ。等々、わたしも今書いているだけで色々論点が出てきているようなことだが、実際に読んでいる最中は一ページごとに文句が出てきてしまう。本書はわりと懐疑論との対話みたいな感じで書かれているが、考えながら読むというより、いったん全部話を聞いてやるかみたいな態度で読んだほうがいいかもしれない。哲学としては初歩的な議論だと思うが、初心者は結構色々な論法を学べる気もする。

Written in defence of common sense, not for destroying our daily mundane world. If you excuse me, it's very British....

Oxford Univ Pr (2019/12/1)
言語 : 英語
ISBN-13 ‏ : ‎ 978-0198829164

0 件のコメント:

コメントを投稿