In my school days, Habermas seemed to me constructive but simplistic. Derrida seemed profound but futile. Now I see they both are trying to find good neighborhood on their own ways, which are not so diverged as they appear. They both do not touch problems of the notions of "nation", "religion", etc. which I think were invented in the Europe or Christian traditions, because they both refer to Kant as a reference point. Maybe to them these points are too obvious.
流石と言うしか・・・。ハバマスは正しくカントを受け継いでおり、その世界政府像に対してキリスト教的だのパターナリスティクだの文句を言うことはできるが、ハバマスの答は簡単で、「マシな対案があるのか」ということだ。わたしとしてはあるような気がするが、ここまで話がこじれた以上は、主権国家だとか並列する諸宗教とかいう概念を前提にするしかないのかもしれない。他方、デリダのほうでは、「無条件の寛容はありえないが、それを前提にしなければ条件付きの寛容も考えられず・・・」とかいう例の論法で、固定した理想状況をあくまで拒否している。もっとも、この拒否は、永遠にゴールを目指すための前提であることを理解しないと、デリダをただのアナーキストと見誤る可能性が高い。 しかしまあ、流石だ。
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