2019年11月28日木曜日

Essi Viding "Psychopathy: A Very Short Introduction" [サイコパス:非常に短い入門]

目次:1.どのようにして誰かがサイコパスまたはサイコパスになる危険があると分かるのか 2.共感の無さを説明すること 3.衝動性と社会的な行動ができないことを説明すること 4.なぜサイコパスになる人がいるのか 5.サイコパスをどう扱うべきか?

サイコパスという言葉は日本ではわりと適当、またはムダにロマンチックに使われている気がするが、ここで言うサイコパスのイメージはもっと具体的で、だいたいが粗暴で、往々にして刑務所に入るが再犯を繰り返すような感じ。そもそも他人に共感する能力がないが、特に本人自身が苦痛について鈍く、必然的に他人の苦痛など配慮せず、他人を操作する目的以外で親切なことはない。同様に、罰から学習する能力も低く、犯罪を犯すにしても衝動的で、ものすごく些細な利益のために割の合わない暴力を振るい、何度も収監される。同情心のなさ、苦痛に対する鈍感は、本人は自分の才能だと思っており、他人に配慮したりする人間を見下しているので、治療法が見つかったとしても本人の協力は期待できない。

というようなわけで、世間で面白半分に言われているよりは殺伐とした話で、確かにこんな人間がいるのはみんな知っている。近頃は犯罪報道でも前科〇犯みたいなことは言われないが、この人種はいっぱいいるんだろう。でこの本だが、サイコパスについて分かっていないことが多すぎるので、この本も事象の表面をひっかいているだけというのが正直な印象だ。脳の構造とか遺伝要因とかも調べられているが、他人に共感するための脳の領域の活動が低いとか、まあその程度の話だし、処置については鋭意研究中だが、今のところ有効な手段もないようだ。著者がどういうつもりか分からないが、わたしとしては「生まれつきこういう奴」という印象で、教育とか治療とか処罰でどうにかなる問題に見えない。

他は心理学一般に言えるような一般論とか警告で、あまり読んでいて発見のある本ではなかった。ただ世の中にあふれるサイコパス診断みたいなのがバカバカしくなるのは間違いない。

There is too much yet to know about this phenomenon.

Oxford Univ Pr (2020/1/1)
言語: 英語
ISBN-13: 978-0198802266

2019年11月12日火曜日

Vincenti Aurore "Les Mots du Bitume" [瀝青の言葉]

直訳ではタイトルの意味が分からないが、瀝青→アスファルト→歩道ということで、要するにフランスの俗語辞典である。日本で瀝青を使うのは車道のほうだが、フランスでは違うのだろうか。どうでもいいが。

わたしが入手した版は装丁もきれいだった。内容的にも良心的で丁寧に作ってある感じだ。ただまあ、俗語時点の類は英語などでも読んだことがあるが、どうもあんまり響かない。一つには俗語に用がないというのがあるし、流行り廃りも早いし、外国人が使うにはリスキー過ぎるというのもある。それに、例えば日本語でも似たようなものがあるが、そういうのがニュアンスを正しく伝えているかどうかというと、かなり疑問がある。

しかし、外国語を学ぶ人にとっては、そうは言っても知りたくなるには違いない。通読しやすいし、実際に採取した使用例も載っていることだから、大間違いもないだろう。英語やアラビア語からの借用も多いが、目立つのはやはりverlanだった。俗語だらけのフランス語映画を見た後で読んだが、verlanに慣れるのは大きい。

Utilizer ces mots est trop risqué pour nous. Quand même, on veut les savoir....si seulment pour les comprendre.

Le Robert (2017/10/5)
言語: フランス語
ISBN-13: 978-2321011163

2019年11月4日月曜日

Judea Pearl, Dana Mackenzie "The Book of Why: The New Science of Cause and Effect" [なぜの本:原因と結果の新しい科学]

まるで一般書のように売られており、確かに一応一般人向けに書いているような気はするが、実際には多少統計学をやったことがないと分かりにくい。日本語では「統計的因果推論」と言うが、統計学的にデータから因果関係を計算するかなり新しい分野で、その第一人者が一般向けに書いた本である。と言っても、そもそも一般人にはこんなのがなぜ新しい分野なのか分かりにくいと思われる。

今でも統計学の初学者は「相関関係は因果関係ではない」という呪文をひたすら唱えさせられることになっている。そして疑似相関とか交絡因子とかいう概念を学び、実際に相関係数だの回帰係数だのを学ばされるが、永久に因果関係の概念は教えられることはない。これは古典流でもベイズ統計でも同じことで、統計学で判明するのは相関関係だけで、それを因果関係とは何かについては統計学の範囲外ということになっている。

それはそれでその通りなのだが、著者は、因果関係を明示したグラフ図を導入し、そのグラフを利用してデータを解釈することで、今までに不可能だった計算が可能になると主張する。著者が最も重視するのは反実仮想、つまり、「もし違うようにしていたらどういう結果になっていたか」という確率計算だ。これは人工知能との関連で未来のある話である。もっとも、グラフ図をどうやって思いつくかは謎であることに変わりはなく、"Causation"で扱われるような形而上学的問題は素通りされているが、そこは筆者の関心ではないようだ。

さらに、それ以前に、因果関係を表すグラフの導入により、今までの統計が行ってきた誤りがどんどん暴かれるのも深刻な話である。著者の言うところでは、伝統的な統計学の方法は、多くの場合に交絡因子を統制し過ぎており、そのせいで誤った結論を出しているという。たいてい我々は主題でない因子は統制すればするほど良いみたいに教えられているが、実際には統制してはいけない因子もあり、その判別は因果モデルを表すグラフを用いれば代数的にできる。

その辺りの詳しい話は本書を読むしかなく、わたしはこの本は統計に少しでも関わる人の必読書と思っている。それはそれとして、この本の書き方はちょっと酷いような気もしている。まず、最初から三分の一くらいは著者の言うところの"causal revolution"の能書きが延々と書かれてかなり退屈だ。do-calculusという言葉もわりと最初のほうに紹介されるが、随分読み進めないと具体的に説明されず、それまで延々と統計学史と革命の効能を聞かされる。統計学の歴史を振り返るにしても、全体的に感情過多でムダに論争的で、もうこれはネイマンピアソン以来の統計学の伝統なのだろうか。

素人が読んでいて、統計的因果推論の有効性がようやく明らかになってくるのは半分くらい読んで喫煙-肺がんの例が出てくるあたりで、そこから先は、やはりムダに感情が多いのは別として、意味が分かってくる。最後のほうの法学的または哲学的考察は、個人的には話を進めすぎだと思うが、とかく、全体的に誇大表現のような気のするところが多い。と言っても、著者の発案による統計的因果推論が重要であることは間違いない。時間ができたらなるべく早いうちに研究しようと思う。まあ、我慢して読んだ甲斐はあった。

I find this book too wordy. Considering the importance of the casal inference, it's a bit pity. Or maybe it's a tradition of the dicipline.

Basic Books (2018/5/15)
言語: 英語
ISBN-13: 978-0465097609