2026年2月22日日曜日

Timothy Childers "Philosophy and Probability" [哲学と確率]

Philosophy and Probability (Amazon.co.jp)

確率と哲学 (Amazon.co.jp)

目次: 1. 確率と相対頻度 2. 傾向と他の物理的確率 3. 主観的確率 4. 主観的と客観的確率 5. 古典的と論理的解釈 6. 最大エントロピー原理

時々このテーマの本を読むが、大筋では昔からあまり変わっていない気がする。この本については最後の章:最大エントロピー原理が述べられているのは大きいところだろうか。

わたしが適当にまとめると、客観派は頻度説が基本だが、頻度説では一度限りの事象に適用できないので傾向説に進化する。ただ、進化と言っても、propensityという新概念が導入されるのだから世界観が変わって色々論争になる。主観派というのは要するにベイズ派だが、信念の訂正などに特有の問題もあり、科学哲学の一般問題にも接続する。デュエムクワイン問題などが論じられているが、究極的にはヒュームの懐疑論まで行きついている。このあたり、面白い話ではあるが、わたしの見解では答が得られないのが約束されている。近年逆襲しているのが論理派で、これは古典的な「同様に確からしい」論をさらに洗練していく道である。ここで問題になるのは、何を基準に「同様に確からしい」と言うかだが、そこで最大エントロピー原理が持ち出される。ただ、適用範囲が狭すぎるというのが著者の考えだ。

この本、入門用としては少し分かりにくいかもしれない。多分、学部レベルの哲学の素養や数学の素養は必要だろう。一応補遺で色々解説されているが。あと、微妙な冗談が多いのは好みが分かれるだろう。個人的にはあまり初耳なことはなかった。復習みたいな感じだったが、改めてポパーみたいな「誠実であれば適切な解が見つかる」みたいな突っぱね方は好きになれない。ヒュームとかカルナップとかについて改めて色々考えることもあった。それにしても、なぜ原書と邦訳のタイトルで哲学と確率の順番が逆なのか謎である。

出版社 ‏ : ‎ Oxford Univ Pr
発売日 ‏ : ‎ 2013/7/24
言語 ‏ : ‎ 英語
ISBN-13 ‏ : ‎ 978-0199661824

2026年2月20日金曜日

Temple Grandin "The Autistic Brain" [自閉症の脳を読み解く]

The Austistic Brain (Amazon.co.jp)

自閉症の脳を読み解く(Amazon.co.jp)

ASDに特有の脳の構造や考え方や対処法などを解説した本だが、学術書というよりは啓蒙書というかself-help、特に親向けかもしれない。

あまり詳しくこの本について紹介する気になれないというのは、最近、こういうスタンスの研究に意味がない気がしてきたからだ。一旦この本を離れてわたしの話を聞いてもらいたい。

ある集団があって、その集団の文化では「美しい字を書く」ということが重視されているとする。この集団が字の下手な下位1%くらいを「字下手障害」と名付け、彼らを治療・救済・障害者認定するために、彼らの遺伝子や脳の構造や生育環境などを必死に研究する。この研究は科学的と言えるだろうか?

おそらく彼らに共通の遺伝子や脳構造などは見つからないだろう。字が下手な理由は無数にあるからだ。そこでその集団は、「字下手障害」をさらに細かく観察し、字が下手なのには様々な理由があることを知る。そして「字下手障害」のさらに細かい分類ごとに、共通の遺伝子や脳の構造などを調べる。いくつかそれらしい遺伝子が見つかるが、すべて「その遺伝子があっても字が上手な人もいるよね」くらいの結果にしかならない。共通の対処法については何か出てくるかもしれないが、おそらく、「正常」とされる人にも適用できる話に過ぎない。

ASDも似たような状況かもしれない。ある集団が急に「社会性」という能力を重視する文化を発達させる。この集団が社交性のない下位10%くらいを「ASD」と名付ける。しかし、その「ASD」という集団に共通の遺伝子もなければ脳の構造も母親の振る舞いもその他の特徴もない。

もちろん、個人単位で見て行けば、社会性がない理由として例えば「正常人」と異なる脳の構造や認知力があったりするかもしれない。そのせいで別の才能があったりするかもしれない。しかし、それをASDという単位で研究するのは果たして科学的だろうか。

これは別にASDに限ったことではなく、音痴、運動能力、IQ、ジェンダー、何でもそうだが、結局、社会が「この範囲が正常」と指定した範囲に生物学的根拠はないし、その範囲の外側にいる個体について生物学的・医学的に共通の原因もない。なぜなら「正常」の基準が社会的な決め事に過ぎないからだ。(もちろん、因果関係の明確な病変がある場合もあると思うが)。

以上のようなわけで、「ASDの脳にはこういう特徴がある」「ASDの認知能力にはこういう特徴がある」みたいな本書のような主張を真に受ける気がしない。ASDを自認する著者自身、「ASDの人はみんな視覚型だと思っていたが言語思考の強い人もいることを知った」などと言っている始末だ。本人は自分の脳のMRIなどを見て「だから視覚処理が強いのか」などと思っているらしいが、著者自身に関する研究はそれでいいとしても、ほとんど一般化できないのではないか。

結局、この本を読んで、自分や自分の子供に適用できる教訓を探しても、多分有意義ではない。たまたま著者と似た人には有効かもしれないが、少なくともわたしには意味がない。結局、本書みたいにASDと判定された各個人の生物学的特徴や認知パターンを研究しても、一般人を研究しているのと大差ないだろう。むしろ、ASDの基準を策定したり、それが問題になったりする社会文化のほうを研究するほうが有意義かもしれない。

出版社 ‏ : ‎ Houghton Mifflin Harcourt
発売日 ‏ : ‎ 2013/4/30
言語 ‏ : ‎ 英語
ISBN-13 ‏ : ‎ 978-0547636450

2026年2月11日水曜日

Dana Villa "Hannah Arendt: A Very Short Introduction" [ハンナ・アーレント:非常に短い入門]

Hannah Arendt (Amazon.co.jp)

目次: 1. 暗黒時代の生活 2. 全体主義の本質と起源 3. 政治的自由と政治的領域と活動的生活 4. 革命と憲法と「社会の問題」 5. 判断と思考と意志

ハンナ・アーレント(1906-1975)という名を知っているのは政治学か社会学を勉強した人間くらいだろうか。この本は良い本だと思うが、英文は読みにくい。それでもArendtの元の英文よりはマシだと思うが。思想の紹介の仕方自体が何か弁証法的だ。

些細なきっかけでアイヒマン裁判の話を思い出してアーレントの考え方を再確認したくなった(第五章)。しかし、正直言うと、時代がかっている気がした。どうも第二次世界大戦前後の思想家というのは、歴史上の人物というには近すぎるし、その割に今の時代の思考の枠組みというか土台にかなりズレがある。例えば、アイヒマンの件については、今時は、個人の倫理観に絶望する時代は通過して、制度の問題に焦点があるんじゃないかな。某国が国内の某民族に対してナチスと大して変わらないことをしていることについて問題になっても、倫理観に訴えても何も起こらないのが実態としてある。

何でもない普通の人、しかも別に洗脳されたというほど思想に染まっていない、単なる無思想な人間が民族浄化に加担する。解決策として哲学が有効だろうか。そんな感じになっているのも、アーレントの寄与があってのことかもしれないが。

Oxford Univ Pr
 ‎2023/4/26
言語 ‏ : ‎ 英語
ISBN-13 ‏ : ‎ 978-0198806981