2025年12月18日木曜日

Morgan Housel "The Art of Spending Money" [金を使う技術]

 The Art of Spending Money (Amazon.co.jp)

アート・オブ・スペンディングマネー (Amazon.co.jp)

"The Psychology of Money"の続編ということだが、内容の大半は「見栄を張るな」にほぼ尽きている。自分はそんなのは大丈夫と思っていても、人は意外に他人に影響されているもので、自分だけは例外とは思わず、謙虚に読んでいいのではなかろうか。色々面白い話はある。

と言っても、やはりわたし個人については例外らしい。虚栄心がどうこう以前に、第一にわたしには見栄を張って得をする状況がほとんどない。自分が出世の見込みのある勤め人だったり、自営業だったら、見栄を張るほうが得というか見栄を張らないといけない局面もあるだろう。異性にモテたいと思う場合もそうかもしれないが、わたしの人生にそんな局面がない。第二にそもそも見栄を張る相手がいない。

わたし個人の話はさておき、誇示的消費で愛情や尊敬はある程度買えるが、著しく非効率な最後の手段と考えるべきで、愛情や尊敬はまずは別の入手方法を考えたほうがいい云々。誇示的消費自体のリスクもある。もともとあまり期待して読み始めていないが、いくつか面白い話もあることはあった。

最後に、結局こういう本は「こういうのが幸せでしょ」という前提が明示的にか暗示的にか存在し、そこに同意できるかどうかが決め手になる。この本も例外でなく、同意しかねる前提が凄まじく多い。明示的な話で言えば、「後悔を最小にする」とか「人生の目的は思い出作り」みたいな話には付き合いかねる。まあそれはそれとして、という余裕を持って読める人にしかお勧めできない。

出版社 ‏ : ‎ Harriman House Publishing; Main Market版 (2025/10/7)
言語 ‏ : ‎ 英語
ISBN-13 ‏ : ‎ 978-1804091890

2025年12月12日金曜日

Jeff Kinney "Diary of a Wimpy Kid #20: Partypooper" [軟弱な子供の日記#20:パーティー潰し]

ここまで全部読んできているが、誕生パーティーという、これまででわたしに最も縁のない世界が背景になっている。わたしがそもそも誕生パーティーというものの経験がほぼないというのもあるが、経験のある人でも、日本の風習とかなりかけ離れているのではないだろうか。だからこそ読む価値があるとは言えるが…。

話のきっかけは①家族が主人公の誕生日を忘れていたことがSNSで拡散されて炎上②プリントミスのゲームカードに高値が付いてweb上で捜索班が結成される…というところまでは縁が無くても一応理解できるが、③だから主人公の誕生日パーティーを企画するというのは、あまり普通の考え方ではない。で、どうも主人公の家にはまあまあの相当な広さの芝生があるらしく…というあたりから、話の内容よりも背景の考察に思考力を取られる。

もともと主人公の家が、少なくともわたしの基準ではあまりに裕福な暮らしをしており、この時点で想像力を使わされているところがある。勉強にはなったが話自体は低調だった。

Puffin (2025/10/21)
言語 ‏ : ‎ 英語
ISBN-13 ‏ : ‎ 978-0241745168

2025年12月9日火曜日

Nick Maggiulli "The Wealth Ladder" [富の階梯]

The Wealth Ladder (Amazon.co.jp)

THE WEALTH LADDER 富の階段 (Amazon.co.jp)

個人資産の額によつて、さらにファイナンシャルプラン(というかさらに金持ちになる方法)が違うというのが中心的な主張だ。

  1. 資産1万ドル未満…余裕がない。とにかく働け。
  2. 1万ドル~10万ドル…食品について自由になる。教育訓練を受けろ。
  3. 10万ドル~100万ドル…外食について自由になる。投資せよ。
  4. 100万ドル~1000万ドル…旅行について自由になる。起業せよ。
  5. 1000万ドル~1億ドル…住居について自由になる。事業を拡大せよ。
  6. 1億ドル以上…他人の人生に介入できる。守れ。
内容はこれだけではないし、この区分を導入しただけでも功績だが、正直なところ具体的な中身は薄くてあまりお勧めする気がしない。致命的なのは、この本のかなりの部分が統計を論じているが、その統計の扱い方が疑わし過ぎる。結果的に言っていることはそんなに間違っていない気もするし、著者の金銭哲学は聞いてもいいと思うが、話半分でいいだろう。

わたし個人としては、近いうちにFIREというか無職になるし、一応FP2の資格も持っているので、こういう本も読んでおくかというところ。一般論として間違ったアドバイスは書いていないと思う。しかし、もうこの類の本は良いかなという感じになってきた。

Portfolio (2025/7/22)
言語 ‏ : ‎ 英語
ISBN-13 ‏ : ‎ 978-0593854037

2025年12月4日木曜日

James Binney "Entropy: A Very Short Introduction" [エントロピー:非常に短い入門]

Entropy (Amazon.co.jp)

<目次> 1: 混乱の時代 2: 熱力学の到来 3: エントロピーとエネルギー変換 4: エントロピーの力学 5: 最大エントロピー原理 6: 画像の再構築 7: エントロピーと量子力学 8: エントロピーと重力 9: 終了

最初のうちは熱素による熱力学を説いていて、この時点で既に大学レベルの熱力学を理解していないと何を言っているのか多分分からない。わたしが理解している熱力学はエネルギー収支が中心だったが、ここではエントロピーを中心に編成しなおしている感じ。それはそれで数学的には分かる話だ。最大エントロピー原理などと言っているが、実際には既に統計力学も分かっていないと読み進めるのは厳しいだろう。中盤では情報科学に自然に移行するが、ここで情報科学でいうエントロピーが物理学から導入されていることが語られる。要は情報科学側の「無知の度合い」が量子力学側の不確定性原理と対応しているとかいう周辺の話で、アナロジーが成立するための根拠の数学を理解している必要がある。最後はこの手の話の定番かもしれないがボーズ・アインシュタイン凝縮やらシュヴァルツシルト半径内のエントロピーを計算したりしている。

というわけで、対象読者が不明である。だいたい大学レベルの物理学・情報科学を修了していないと厳しい読み物の気がする。要するに「既に理解している人にしか理解できない」という類の本に見える。その意味ではこれまで数百冊読んだVSIのなかで最も高度と言えるかもしれないが…。

そもそもなぜこんな本が企画されたのを考えると、近頃環境問題だとかでやたら熱力学の第二法則とかエントロピーという言葉が濫用されているので、と言う趣旨だと思われる。その件は最後のほうに申し訳程度に書かれているが、著者はそんなことより純粋に数学をいじっているのが好きなようだ。数式は全然避けられていない。冷静に読み返すと、普通に熱力学とエントロピーの標準的な大学の講義を早足で進めただけのような気もするし、そういう勉強/授業をしている人には参考になる本かもしれない。

Oxford Univ Pr (2025/12/29)
言語 ‏ : ‎ 英語
ISBN-13 ‏ : ‎ 978-0198901488

2025年11月20日木曜日

Jed Brody "Quantum Entanglement" [量子もつれ]

Quantum Entanglement (Amazon.co.jp)

目次:1. 量子力学の負の空間 2. 哲学に挑む実験 3. もつれた光 4. 日常的な想定の厳密な矛盾 5. 相対論との和解 6. 直接観察が唯一の現実なのか

まずタイトルの説明自体が難しいが、要は量子力学の予測とそれを確認する実験において、常識的には考えられない結果が出ているという話。その実験で破られる常識とは、基本的に二つあり、①観察してもしなくても物体の状態は確定している(Realism: 実在論)②二つの物体が光速を越えて互いに影響することはない(Localism: 局所論)。特に後者については量子力学と相対論が矛盾すると言われるところだ。

マニアックな話だし、物理学でも工学でもそんなに中核的な話ではない…と思うが、世間でもたまに量子暗号とか量子テレポーテーションという話も出てくるし、状況自体は理解しておいて損はないと思う。ちなみにこの本自体はそんな応用的な話はない。ひたすら本質の説明だ。

著者としては、応用よりも現象の不思議さ(spooky)に注目しているようだが、実はわたしはそんなに不思議に思えないところもある。最後のほうに哲学的な話も出ているが、わたしの場合はQBismが自然に思えている。Higher Dimention解釈とか超決定論については、科学ってそういうのはなしでやってるわけですし…。

ともあれ、量子もつれについては日本語でも色々な解説があるが、わたしの知る限り最も懇切丁寧なのがこの本だ。と言っても、この本が言っていることを理解するのも簡単ではない。別にこの本を読むために量子力学のテクニカルな計算を理解している必要はないし、数学も必要がないが、純粋に論理構成が難しい。読むだけでなく、紙と鉛筆は用意して自分でパズルを解くようにしたほうがいいと思う。

The MIT Press (2020/2/18)
言語 ‏ : ‎ 英語
ISBN-13 ‏ : ‎ 978-0262538442

2025年11月18日火曜日

Julie Waseige "Magritte in 400 images" [400の図像で見るマグリット]

 Magritte in 400 images (Amazon.co.jp)

マグリット400 (Amazon.co.jp)

多少の解説というか伝記はあるものの、要するに画集。400もあるし、色もよく出ている。ファンなら見ずに買ってよい。必携だ。

実は結構な頻度で美術館に通っている。あまりシュルレアリスムとか理屈系の絵画は好きではないが、マグリットだけ例外的に気に入っている。ただ、それでも正直に言うと、マグリットは印刷でかなり満足するところがある。まずもって着想というか考え方なんでね…。

一つこの本の問題として、マグリットの絵は絵画の中にフランス語が書いてあることが多いが、そのフランス語の訳はない。別に難しいフランス語ではないし大したことも書いていないが、分からない人は辞書を引くことになるだろう。

Ludion (2021/11/8)
言語 ‏ : ‎ 英語
ISBN-13 ‏ : ‎ 978-9493039162

2025年10月16日木曜日

Emmanuel Todd "La Défaite de l'Occident" [西洋の敗北]

西洋の敗北 (Amazon.co.jp)

ウクライナ戦争を軸とした地政学。色々な論点はあるが、わたしの記憶に残るのは①アメリカのGDPは虚業で膨らんでおり、実際にはウクライナに武器を供給する工業生産力はない。②ロシアは西洋以外から支持されており負けない。侵攻が遅く見えるのは損失を最小にしてウクライナの軍事装置を破壊するためである。③西洋を支えてきた価値観(キリスト教)は既にほとんど失われている。

ヴェーバーの「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」に対する考え方も印象的だ。カトリックは洗礼を受けた人間は全員平等だが、プロテスタンティズムでは人間は生まれつき不平等なので人種差別など平気である。プロテスタント諸国が経済的に成長したのは、プロテスタンティズムでは全員が聖書を読める必要があり、識字率が上がって優れた労働者が生まれたからで、予定召命説とかBerufとかどうでもいい云々。

大部な本で全容は紹介できない。著者の考えに全面同意する気もないが、面白くてわりと一気に読んだ。しかし、世界に何の影響力もないわたしのような個人がこんな本を読んで世界のことを考えて何か意味があるのかという気もする。娯楽として消費しているだけ、というのが実態ではある。

Gallimard (2024/1/11)
言語 ‏ : ‎ フランス語
ISBN-13 ‏ : ‎ 978-2073041135

2025年10月2日木曜日

Devon Price "Unmasking Autism: The Power of Embracing Our Hidden Neurodiversity" [自閉症の仮面をとる:わたしたちの隠された神経多様性を肯定する力]

Unmasking Autism (Amazon.co.jp)

自閉スペクトラム症の人たちが生きる新しい世界 (Amazon.co.jp)

自閉症についてこれまで読んだ本の中では随一と言う感じ。というのも、ASD関係の本の評価はその本にのっている「あるある」の量に比例しがちだが、この本が圧倒的だから。

日本語圏のASD関係の本は「いかに普通人たちに紛れて生き延びていくか」みたいな本が多いが、この著者がそういうスタンスでないのは原題から明らかである。著者は、もちろん環境条件によるという限定付きではあるが、基本的には堂々とASDを宣言して生きていけ、という立場だ。日本語訳はなんか色々日本的に配慮したんだろう。

しかし、子どものうちにASDの診断を受けたごく一部の幸運な人たちを除けば、たいていのASD者は普通人に紛れることを人生の最大の課題として長年生きてきたわけだし、この著者の呼びかけに単純に答えられる人は少ないのではないかと思う。とはいえ、そもそもこの社会が根本的に間違っているのではないかと疑ってみる価値はあるとは思う。多くのASD者はこの社会の価値観を内面化して、多かれ少なかれ自分を卑小な人間だと思っているが、全くそんな風に考える必要はない。それがこの本の最大のメッセージで、いわゆる「カミングアウト」とか"Unmasking"をするべきかどうかは大した問題ではない。わたしの見解では「カミングアウト」などという制度が存在すること自体間違っているが。

ちょっとひっかかるところがあるとしたら、この著者自身は、自分がASDというだけでなく、トランスでもあると言っており、一緒に議論している箇所も多い。もちろん、社会問題という意味では、ASDと性的少数者と身体障害者の問題は確実に全部つながっているが、純粋に生物学的にASDとトランスであることに何か関係があるのかどうか…。

特にトランスの問題は難解で、直前に読んだ本は、「社会不適合に悩むASD者に『それはあなたがトランスだからだよ』と声をかけて誘いこむトランス団体」みたいなのを糾弾していた。正直なところ、わたしにとって性的少数者というのは縁遠い世界の話だが、それはそれでありそうな話に思える。

あと一つあるのは、色んなタイプのASDをあまり区別していないことだろうか。多動性でずっと貧乏ゆすりしているような人種と、平気で何時間もじっとしていられる人種の生存戦略を一緒に論じるのは乱暴すぎる。…いくらでもこの本については語れるが、要するに読む価値のある本だということだ。

Octopus Publishing Ltd. (2022/4/7)
言語 ‏ : ‎ 英語
ISBN-13 ‏ : ‎ 978-1800960558

2025年8月23日土曜日

Pete Wharmby "Untypical: How the World Isn’t Built for Autistic People and What We Should All Do About it" [非典型的:どのように世界は自閉症者のために作られていないかとそれについてどうするべきか]

 Untypical (Amazon.co.jp)

世界は私たちのために作られていない (Amazon.co.jp)

ASD者によるASDの啓発書だ。基本的にASD者向けではなく、健常者向けに書いている。ASDとしての体験、そして社会への提言。ASD者・関係者にはお勧めというより必読書だし、関係ない(と思っている)人も読んで損はない。というか本当は全員に読む義務があると思っているくらいだが。

こういう本が出始めたのはここ十年くらいのことだろう。これまでほとんど読まなかったのは、話として悲し過ぎるし、こんな説明をどれだけ健常者向けに書いたところで、結局理解されないだろうという絶望のせいだ。それほどASDは社会から拒否され続けてきた。この本でもどうだろうかと思う。興味のない人はそもそも読まないと思うのでそんなに反発を食らうこともないと思うが。

この件については色々考えることがあり過ぎて、ここに書く気になれない。ただ、わたしはどのみち長くて数年以内に退職してヒマ人になる予定だ。何か有意義なことをしたいと思っていたが、ASD関係に関わっていくのがいいかもしれない。

出版社 ‏ : ‎ Mudlark (2023/3/16)
言語 ‏ : ‎ 英語
ISBN-13 ‏ : ‎ 978-0008529260

2025年8月11日月曜日

Thomas Hull "Project Origami" [折り紙プロジェクト]

 Project Origami (Amazon.co.jp)

ドクター・ハルの折り紙数学教室 (Amazon.co.jp)

想定されているのが高校または大学程度の数学の教室で、折り紙を通じて数学を学ぶための実習のアイデアが数学教師向きに30解説されている。

ある程度折り紙の好きな人が見た場合、純粋に折り紙のアイデアとしては特に珍しいことは書いていない。と言って、別にこの本で何らかの数学が体系的に学べるわけではない。イメージとしては、たまたま折り紙の好きな数学教師が、自分の教えているところと関連のあるプロジェクトを一時間くらいぷっこんで来る感じ。「映える」授業という感じか。

もっともそれが生徒にウケるかどうかは謎だ。もともと折り紙という趣味がマニアックであり、我々は普通に解説しているつもりでも、一般人から見ると熱量にドン引き、ということはあり得る。折り紙好きとしては一度は読んでおきたい本だが、普通の人は折り紙なんか10歳になる前に卒業してしまうからな…。

結局、折り紙が好きな人と数学が好きな人がそんなに重なっている気がしない。月刊おりがみに数学のコーナーはない。確かに自分のことを考えると、初等幾何が異様に得意だったのは間違いないし、折り紙好きと無関係とは思わないが。

というわけで、なかなか誰にでもお勧めというわけにはいかない。本書の想定読者である数学教師とか、たまたま数学にも折り紙にも両方に興味のある人は読んで損はないと思う。天下のRoutledgeだ。

出版社 ‏ : ‎ Routledge; 第2版 (2013/2/11)
言語 ‏ : ‎ 英語
ISBN-13 ‏ : ‎ 978-1466567917

2025年7月2日水曜日

Terry Pratchett "Equal Rites" [平等の儀式]

Equal Rites (Amazon.co.jp)

ユーモアファンタジーDiscworldシリーズの第三巻。1987年刊。「魔導士エスカリナ」ということで翻訳も出ているが絶版の模様。売れたのかな…。

主人公はwizardの素質のある少女Eskarinaとその保護者Granny (witch)。この世界ではwizardになるためにはUnseen Universityに入学する必要があるが、これまで女子の入学は想定されていない。それでこのタイトルになる。

前二巻もそうだったが、ちゃんと設計された小説というよりは、適当に書いている感じだ。色々細かい設定がされていくので、「これは後で重要になるのか」と思っても結局何にもならない。主人公のきょうだいとかその他、後で何も出てこない。伏線的な感じのものはだいたい回収されない。正直言って、前半部分はかなり退屈なところが多かった。Eskが鳥になって飛んでいるところ長かった…。しかし、児童文学と理解すればそんなものかもしれない。

あと、何を想像していいのか分からないサイケデリックとしか言いようのない描写も多い。最後まで読むと、感想としては「まあいい話だったかのかな」という感じになる。ストーリーというよりは場所と世界の描写なのかもしれない。作中で一度"Gormenghast"に言及されているが、実際そんな感じ。そういうことでは、また"Gormenghast"も読みたくなってきた。

HarperCollins (2024/10/8)
言語 ‏ : ‎ 英語
ISBN-13 ‏ : ‎ 978-0063385542

2025年5月27日火曜日

Penelope Gardner-Chloros "Bilingualism" [バイリンガル]

 Bilingualism (Amazon.co.jp)

目次:1. なぜバイリンガルが重要か 2. バイリンガルになること 3. バイリンガルの経験 4. バイリンガルの認知 5. バイリンガルの脳 6. バイリンガルの発話 7. 筆記におけるバイリンガル 8. バイリンガルの過去・現在・未来

著者は欧州議会のプロの通訳だったりするらしく、単なる学者ではない。また、バイリンガルに関する研究をまとめている部分もあるが、かなりの部分が著者自身の調査に基づいている。このブログで紹介しがちな特定の学問分野への入門書とはちょっと違う。

最初のうちは政治的な話。二つ以上の言語を話せるのが脳に良い/悪いという議論は、移民差別、border controlなどと密接に関わっている。Political Correctnessは別とすれば、果たしてバイリンガルは認知機能や幼児の発達に良いのかどうか。この件について著者は極力科学的なエビデンスを参照しようとしているが、結局のところ、確定的な結論を引き出すほどの研究結果がないようだ。はっきりした利点としてもちろん単純に色んな言語を使う人と話せるとか、老人性痴呆に対して明らかに抵抗性があるとかはあるが。

この本の真ん中あたりの結構な部分が、バイリンガルのリアルな経験を説明しているが、要はバイリンガルの経験する世界をモノリンガルに対して説明しているようなことで、我々としては当たり前のことしか書いていない。しかし、確かにこの類の質問はよく受ける。誰でも「頭の中は何語なんですか」という質問を食らったことがあるだろう。酷い場合は「頭の中は関西弁なんですか」みたいな質問を受けることすらある。説明に困るが、我々としては別に重要な質問とも思えない。この類の質問がある人はこの本を読んだほうがいい。そんな人がこのブログを読んでいるとは思えないが。

このあたりまでは一応、科学的というか中立的っぽい記述がされているが、最後のほうはもうはっきりpro-bilingualismである。英語至上主義に反対したりしているのは、結局、英語圏が念頭にあるからなんだろう。別にそれ自体はわたしも反対する理由がない。

結局、この本のせいではないが、バイリンガルについてはたいして科学的知見がない。そして少なくとも日本ではバイリンガルを差別する勢力は少ない。いることはいるけど、大半の人は、話せる言語は多いに越したことはないくらいに思っているのではないか。これ以上この件について調べても、政治的にはともかく、少なくとも科学的にはあまり面白い知見は出てきそうにない。

The MIT Press (2025/2/4)
言語 ‏ : ‎ 英語
ISBN-13 ‏ : ‎ 978-0262549431

2025年5月6日火曜日

Fernanda Ferreira "Psycholinguistics: Very Short Introduction" [心理言語学:非常に短い入門]

Psycholinquistics (Amazon.co.jp)

目次:1. 心理学と言語学の関係 2. 言語を理解すること 3. 言語を生成すること 4. 会話と対話 5. 読むこと 6. 言語処理の個人差 7. バイリンガルであること 8. 手話と手ぶりの心理言語学 9. 次は何?

わりと最初のほうでgarden-path文の例が惹き込まれる。garden-pathというのはヨーロッパの迷路文化を前提にした専門用語だが、例えば次のような文を言う。

The horse raced past the barn fell.

これは完全に文法的に正しい英文だが、一発でまともに読める人はほぼ皆無という話だ。この類の文をめぐって様々な研究が行われているが、研究内容というよりは、こういう例自体が面白い。

しかし、結局、この本のピークはこのあたりだった。ほかにも色々な話題があるが、どれにしても「その程度のことしか分かっていないのか」「まあそうでしょうね」という感想しかない。

バイリンガルの件はちょつと面白かった。バイリンガルが老年性痴呆の抵抗因子であるということは確定しているらしいが、さらに言語以外の認知機能についてプラスかマイナスかという話がある。結論としてはよくわからないのだが、バイリンガルが認知機能にとって+/-という話と、移民差別/反差別の話がリンクしているらしい。

人によってはもっと拾うところもあるかもしれない。わたしとしてはイマイチだった。

Oxford Univ Pr (2025/4/23)
言語 ‏ : ‎ 英語
ISBN-13 ‏ : ‎ 978-0192886774

2025年4月16日水曜日

Philip Dwyer "Violence: A Very Short Introduction" [暴力:非常に短い入門]

Violence (Amazon.c.jp)

Amazonのレビューに一つ酷評がついているが、全く同感だ。これまで大量にVSIシリーズを読んできたが、VSIに限らず、このブログの中でも屈指のダメ本だろう。

内容は、例によって最初に定義みたいな話はあるが、結局曖昧なまま進む。あとは特に近代以降の、社会問題化したような古今東西の暴力(戦争~残虐刑~DVを含む)を断罪陳列しているだけ。定義について曖昧にしたまま、著者の倫理観的に許されない暴力の事例が並べられているだけだ。

例えば、警察官が犯罪者を取り押さえたりするような場合や、子供同士のケンカなどは取り上げられもしない。植民地支配は暴力だが、それに対する反乱は暴力ではないらしい。死刑は暴力だが懲役は暴力ではないらしい。そういう定義ならそれで全く構わないが、それならその点ははっきりさせるべきだろう。

この本はVSIでたまにある「断罪系」なんだけど、本当にそれ以外に内容がほとんどない。こういう話なら、

・暴力の生物学的起原
・暴力の心理学的メカニズム
・国家による合法的暴力の独占の変遷
・暴力のコントロール方法
・暴力を制圧するための暴力
・…

など、色々な興味深い論点があるはずだが、ほぼ問題にされていない。せめて聞いたことのない事例が多く紹介されていれば世界史の勉強になったり、人によっては猟奇的ホラー的興味の対象になるかもしれないが、ほぼ聞いたことのある話だ。

まだまだ文句は言えるし、実際に書きもしたが、長くなるので消した。著者について少し調べたら、歴史の専門家で、生物学・心理学・社会学・哲学みたいな要素はない。歴史の特定の分野では権威なんだろう。

Oxford Univ Pr (2022/6/24)
言語 ‏ : ‎ 英語
ISBN-13 ‏ : ‎ 978-0198831730

2025年4月14日月曜日

Daron Acemoglu, James A. Robinson "The Narrow Corridor: States, Societies, and the Fate of Liberty" [狭い回廊:国家と社会と自由の運命]

 The Narrow Corridor (Amazon.co.jp)

自由の命運(上)(Amazon.co.jp)

自由の命運(下)(Amazon.co.jp)

だいたい前著"Why Nations Fail"と同じ世界観で、巷ではより考察が深まったとか言われているが、それよりはさまざまな世界史エピソード集みたいな魅力が圧倒的で、本体の主張については、そんなに衝撃はない。主張自体は、①有能な国家と②国家の行動に足かせをつける社会の二つが常に競って能力を高めていく必要がある、というところ。別に読むのにそんなに予備知識はいらないし、一応ノーベル経済学賞案件なので、誰が読んでもまず損はない。日本語訳もしっかり出ている名著なので、概要はどこにでも書いてあるだろう。

個人的に一番興味があったのは、搾取するエリート層がいないにも関わらず、相互監視のせいで発展しない社会の例だ。つまり、ちょっと努力して少し蓄財したりすると、周りがタカってきてつぶしてしまうのである。このような社会では誰もまあまあの労働しかしないし、当然経済も発展しない…。

関係ない別の本の話だが、働かないおじさんがデフレ時代には合理的だったという話がある。詳しくは『物価を考える』(Amazon.co.jp)という和書があるが、要は、デフレ時代には労働の質を上げても給料が大して上がらないし、労働の質を下げても賃金の下方硬直性がある。これは労働に限ったことではなく、デフレ下では、高品質な物を作っても大して高価格に設定できない。競争は低品質低価格のほうに向かう。

こういう話を聞くと、自分の個人的な体験が思い起こされてくる。もちろん、本書の中心的な問題は前著同様「エリートが強すぎて何でも搾取してしまうので庶民が努力しない社会」と「無政府状態でまともな商取引などができない社会」で、一応どちらでもない(=回廊内にいる)とされている現代日本に生きているのは幸運なことだが、ローカルには現代日本にもそんなことはあるよなあ…と思う。

最後の部分はアメリカの未来にあてられている。アメリカの問題はエリートが強すぎて庶民が絶望していることで、ヒトラーを生み出したヴァイマール共和国みたいな話だが、本書出版以降、実際その路線を進行中である。実のところ、わたしとしては、本書の大雑把な主張で目の前の現実を捌けるとは思わないが、間違いなく一つの面をとらえているんだろう。

しかし、最初に書いたように、わたしが思う本書の最大の魅力は世界史エピソードにある。主張自体に興味がある人からすると、いろいろ物足りないかもしれないが、読んで損のない本だと思う。

出版社 ‏ : ‎ Penguin Press (2019/9/24)
言語 ‏ : ‎ 英語
ISBN-13 ‏ : ‎ 978-0735224384